6 1月
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「突然、合法的な手段で30億円の大金を手にしたら何をするか」を一生懸命考えて一日を過ごした。
固定資産の購入、資産運用の手順、恵まれない子どもたちの寄付まで緻密なプランを立てた。残り1円に至るまで無駄なく運用できる完璧なプランである。これでいつ食パンくわえた大富豪と曲がり角で遭遇し、親しくなって「すばらしい君に30億円をプレゼントしよう」と小切手を握らされても戸惑うことはなかった。あとは曲がり角で待ちぶせするだけであった。胸の高鳴りを必死に抑えながら、僕は近所の路地裏の曲がり角へと向かった。
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最近、山手線に乗っていると乗り物酔いするんですが、僕だけでしょうか。
誰に話しても「そんな体験したことがない」「そんな話は聞いたことがない」と言われる。僕は世界一乗り物酔いしやすい人間なのかもしれなかった。
5 1月
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そういえば、年末はホーム・アローンを見て過ごした。
ちょうどiTunesのキャンペーンで無料でダウンロードできた。iTunesで映画をダウンロードしたのはこれが初めてだが、なかなか便利ですね。一本あたり少々お高いですが、もう少し安ければTSUTYAYAに行くこともなくなるのではないかとおもう。家にいながらにして音楽も映画も楽しめるなんて、引きこもりにとってどんどん過ごしやすい世の中になっていって大変すばらしい。
それはともかく、ホーム・アローンはおもしろかった。主人公の男の子(ケビン)の生意気っぷり半端ないですね。確かに大人に可愛がられないこどもだろうなとおもった。非常に共感しました。すばらしいですね。
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お正月のテレビ番組はあまりすきじゃない。なので、いつも以上にテレビを見ずにすごした。
過剰に「特別」感を演出されると、萎えてしまうのだ。盛り上がりというのがあんまりすきになれないのだ。だから、大人数の場も苦手だった。
4 1月
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スーパーカップの苺チーズを食べる。
あのバニラ味で有名なアイスの新しいフレーバーである。とてもおいしいのだが、チーズ味がどうも鼻につく。今度はチーズ抜き苺チーズ味を出してほしいとおもった。大ヒットまちがいなしである。もし商品化したらリベートをくださいね。
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きのうとおなじ。(*1)
*1: のび太が作った呪文。日記にこの文言を書くとその日の執筆をキャンセルできる。
2 1月
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10年ぶりに年賀状を書く。
「謹賀新年」(*1)というむずかしい漢字が書けないので、「明けましておめでとう」と書いてごまかす。ついでに「今年もよろしくお願いします」とも書く。まるで小学生の年賀状だった。のび太の日記みたいだった。
10年前の年賀状にはどんなことを書いたかと記憶をまさぐると、そういえば年賀状でアナグラム遊びをやったことを思い出した。
ひらがなで6文字くらいの文章を作り、6人にそれぞれ一文字ずつ送る。一人一人では何のことを言っているのか分からないが、6人全員が揃うと何か文章らしきものを構成できるというやつである。こうして仲良し6人が揃ってあれこれ言い合うことで、自然とその6人の仲がさらによくなるはずだった。まさに年賀状を使った友情テレカ(*2)である。
この方法を思いついたとき、アナグラムの文章には友人H君の悪口を書くことにした。こっそり悪口を書かれたにも関わらず、H君はひらがな一文字を前にして首を傾げるのである。間抜けな姿にちがいない。思い浮かべれば浮かべるほど、にやにやが止まらなかった。ところが、肝心のH君には「ば」を送ってしまい、完成形が「Hのばか」という文章であることをすぐに看破されてしまった。間抜けなのは僕の方であった。
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新しくスタンドライトを購入する。
100Wとそんなに変わらない明るさを5.6Wで実現できるLED電球に感動する。僕もLED電球のように少ない労力で光り輝ける省エネ人生を送りたいとおもった。
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おせちは毎年罰ゲーム。
1 1月
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昨年、「実はこっそりこの写真ブログを見てました」「ブログの更新はまだですか、ずっと待っているんですが」などの声をいくつか聞いた。そのたびに僕は首を傾げた。わけが分からなかった。
僕は「写真ブログ」なんか執筆したことは一度もない。諸事情で最近途絶えてしまった日記を書いていたことはあるが、ブログではなかったはずだ。ましてやそれは他人が見えるはずのものではなかった。その日記のことを言っているのだろうか。なぜ彼らは僕の日記帳が途中で終わっていることを知っていたのだろうか。僕の日記帳は僕の机の中にしまってあるはずだった。
急に身体が薄ら寒くなって、僕は部屋に鍵をかけた。そして布団に潜り込んでぶるぶると震えた。
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「免許(*1)合宿とやらに行ってくる」で日記が途絶えており、そこから更新されてない日記が不気味すぎたが、なんとか生きてます。新年なので日記を再び更新することにしました。
こういうのは最初に手抜きをすると長続きする。
「昨日はあんなに手抜きをしたのだから、今日も手抜きをしてもよい」と昨日の自分を鼻で笑いながら更新できるからだ。だらだらと長く書きすぎた翌日は「どうしてあんなことをしてしまったのだろう」「今日もあれを超える何かを作らねばならない」というプレッシャーに苛まれるからである。毎日、昨日の自分と戦っていた。精神的に向上心のないやつはばかなのだ(*2)。
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写真は2014年の初日の出です。
普段は誰もありがたがらないくせに、それどころか「また朝がやってきてしまった!ちくしょう!」などと罵倒されることが多いくせに、なぜか今日ばかりはみんなからちやほやされ、構われるだけ構われる日の出だった。僕も毎日元旦の日の出になりたいとおもった。
ちなみに、今日以降は写真と日記の内容はまったく異なります。写真の説明もしません。なぜならめんどうだから。各自の妄想で補完してください。