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プロットは完成。書くだけ。でも、なかなかキャラ付けが難しいのです。


Diary Field -雑記-

2008-06-14

category:[日記]

珍しく三連休なのでゆっくりすごしているrenです。今日は簡単に。

>NHKから民放まで“エコ大合唱”のやり過ぎ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080613-00000001-gen-ent

ここんところ毎週、環境問題やらエネルギー問題の話を理系の先生から聞かされてうんざりさせられているrenです。環境問題イデオロギー大嫌いです。エコブームとか大嫌いです。

エネルギー資源や環境汚染のデータをかき集めて見せながら「環境問題考えなきゃいけないよね。それを考えるのが理工の使命だよね」と語られることにひどい違和感を感じております。多分前にも日記に書きましたが、理系が学問をする社会的な意味付けや理由付けには僕には興味がありません(もちろん理系学問的にも意味がない)。環境問題が差し迫っているのは分かる。技術面でサポートするのが理系であるのも納得がいく。だが――、環境問題イデオロギーはやっぱり僕には欺瞞にしか見えません。偽善者の匂いがする。

口をそろえて「環境問題って大事じゃん」って話をしながら、しかも「ひとりひとりが考えるべき――」なんて大真面目な顔して語られた暁には、理系の先生って実はばかなんじゃないか、とか思えてくる。ひとりひとりで出来ないから社会問題になっているわけで(笑)。もっとシステマチックな、社会的な枠組みで解決しなきゃならないに決まってるのに、「ひとりひとり」作文しても意味がないんですよね。まるで小学生の作文だし(笑)。

具体的に言えば、資本主義を引いてる間は商業的力・エネルギーをそのまま環境汚染抑制に受け流せる形のアルゴリズムを構築することになると思います。お金がかかるエコは意味がない。お金がかかる、とはそこにエネルギーが消費されていると同義であるから、エネルギー資源を守るためにエネルギーを使っているという意味合いになるからです。だから、商業的に価値のある、それで市場が成立しうるシステムでなければエコの意味は本質的にない。

でもまあ、これを考えることはおそらく文系の先生方でして…やはり理系ではないと思うわけです。そもそも「環境」という概念が僕には分からないし(例えば不確定性原理的な意味で)、きっと「環境」という単語を定義する上で人間の独善性が見えてくる訳だし、それなのに倫理観とごっちゃになって語られるとすごく気持ち悪い。「環境を守る」とは「人間が生きにくくなるから、それは困るから」という明白で論理的な理由に基づいているのに、キャンペーンイメージとして持ち出すのは「自然(特に人間以外の)を守ろう!」だったりする(笑)。別に「人間が生きにくくなるの困る」→「じゃあ、生きやすい状態を守ろう」の論理はまったく悪くないと思うんだけど…。どうしてか善いイメージと結び付けたがって、このギャップがいたたまれなくなる。これ、僕だけでしょうか。

理系の先生、環境問題を考えること=とても善い行いって勘違いしてそう。もし考えてたらそれは頭悪いと言わざるを得ないかなあ。

Keiさんがメッセのログを載せてましたが、案外ログ見返してみると面白いことに気付く。

真面目な議論しているところがあったりするのに大体、「かがみんかわいい」とかで消える脳内のメッセログ。きっとエネルギーの無駄遣い。

おやすみなさい。

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